櫛の歴史
櫛の歴史
櫛が史上に現れるのは神話の時代である。
『古事記』で、イザナギ命は、妻のイザナミ命が差し向けた追っ手から逃れるために、櫛の歯を後ろに投げ捨てたところ、筍に変わった。同じく『古事記』で大蛇を退治しに出向くスサノオ命はクシナダヒメを櫛に変えてみずらに挿した。
縄文時代には縄文土器の感じによく似た呪術的な雰囲気の櫛が出土する。
材木はツバキを使用し表面は漆塗りで赤く仕上げられている
櫛は「霊妙なこと、不思議なこと」という意味の「奇(く)し」「霊(くし)び」が語源となっている。
天皇は斎宮として都を旅立つ皇族の少女を見送る儀式で、「別れの櫛」を手ずから髪に挿し別れの言葉をかけた。彼女達は身内か天皇に不幸があるまで都に帰ることはできず、巫女であるため任務を解かれるまで恋愛もできない。櫛の持つ強力な呪術性と訣別の意味が感じられる。
現代のような横櫛は古墳時代に出現する。用材には既にツゲ、イスノキ材が使用されている。
奈良時代には万葉集などに「つげの小櫛」という言葉が使われている。
君なくは、なぞ身(み)装(よそ)はむ、櫛笥(くしげ)なる、黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も、取らむとも思はず
意味: あなた様がいらっしゃらなかったら、どうして身を装ったりしないでしょう。櫛箱(くしはこ)の黄楊(つげ)の小櫛も手に取ろうとは思いませんわ。
作者: 播磨娘子(はりまのおとめ)
奈良時代・黄楊櫛(つげぐし)
奈良時代・牙(げ)の櫛(正倉院)
平城宮跡からもつげの櫛が出土する
現在のイスノキ材の櫛
古来宮中で使い続けられているのが「檮(木へんに壽)」=イスノキ。
これは身分の高い者しか使えない櫛で、「延喜式」によれば、その頃の天皇はほぼ毎日新しいイスノキの櫛を使い捨てた。
現在の黄楊の櫛
浜松櫛とは・・・
浜松で四代続く櫛屋です。先代から続く技術、心意気を受け継ぎ、江戸時代から続く櫛作りを当時の技法で手作りしています。
材料は、つげ、イスノキ、桜、などを用います。黄楊材は現在では九州薩摩産を用いています。
浜松櫛四代目当主松山順一さんの動画です
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