最後の櫛職人 松山鐵男の話
私の祖父、故松山鐵男は浜松で代々黄楊櫛を作る「浜松櫛」の三代目であり、最後の櫛職人と言われていました。かの白洲正子さんも著書「日本のたくみ」等で紹介しており、櫛の歯を挽く音をさざ波に例えています。
また古い櫛や出土品の櫛の復元複製に情熱を傾けました。
「黄楊の櫛-それは私たちの祖先が千数百年前から慣れ親しんできた装身具であった。この頃はプラスティックに変わってしまったが、黄楊のやわらかな感触を知るものにとっては味気ない。同じ黄楊でも機械で大量生産したものと手で作った櫛の間には雲泥の相違がある。」
白洲正子著「日本のたくみ」より
三代目松山鐵男の技術と思いは、四代目松山順一へ受け継がれています。
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