黄楊櫛の小話(歴史、縁起)

「櫛の歴史」は、日本では縄文時代、それも6000年前まで遡ります。福井県の鳥浜貝塚から、赤い漆塗りの櫛が出土しているそうです。おそらく、日用品ではなく、呪術的な意味があったと思われています。

黄楊櫛の小話(歴史、縁起)


古代人は、いくら切っても永遠に伸びる髪を生命の象徴のように感じていて、髪を整える櫛にも神秘の力が宿ると信じていたようなのです。


古来より「つげ櫛」は縁起の良いものとされてきました。

黄楊櫛の小話(歴史、縁起)

平安時代には遠くへ遠征する人へ「つげ櫛」を手渡すと、必ずその人と再会出来たと云われています。

また、恋人に渡せば、将来争い事が起きても、「つげ櫛」が何事もなかったかのようにきれいに梳きほぐしてくれるといわれています。

昔は、大阪の泉州では、女の子が産まれると庭につげの木を植え、娘が嫁に行く時にそのつげの木を切り、「つげ櫛」にして渡したといわれる「嫁入り道具」のひとつだったそうです。

嫁ぎ先で問題が発生しても、「つげ櫛」が髪を梳くようにきれいに梳き解してくれるといわれています。

黄楊材は緻密な木肌を持ち、硬くねばり強いく、使い込むほどに艶がでてきます。それゆえ夫婦円満、家内安全など縁起の良い木として珍重されてきたのです。

また、櫛は争い毎が起こっても、「解きほぐしてくれる」ということで、縁起物ともされています。

黄楊櫛の小話(歴史、縁起)



また、「くし」は「苦死」として縁起が悪いので、「9 + 4 =13」で、「十三夜」とも呼ばれたそうです。



道に落ちている櫛を拾うことは「苦と死を拾う」ことにつながり、縁起が悪いことと忌み嫌われたそうです。どうしても拾わなくてはならないときは足で踏んでから拾うともいわれたそうです。贈り物にするときは「櫛」とは言わずに「かんざし」と呼んだそうです。


浜松櫛とは・・・

浜松市中区で江戸時代末期から150年以上四代に渡って続く木櫛屋です。
先代から続く技術、心意気を受け継ぎ、江戸時代から続く櫛作りを当時の技法で手作りしています。
材料は、つげ、イスノキ、桜、などを用います。黄楊材は現在では九州薩摩産を用いています。



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黄楊櫛は、縁起の良い贈り物グッズです

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この記事へのコメント
こんにちは 最近、日本古来の櫛に興味があります。
こちらのブログも楽しく拝見しております。

櫛の縁起や由来ですが、さすがに、本職の方がご説明されるだけあって、
とても興味深いです。

神代・古代では、縁起物や、守り櫛だったのに、
近代になり、そのゴロあわせ、呼び名から縁起が悪いとされるのは
なんとも皮肉だな、と思います。

現在でも、いくつかの神社の授与品には守り櫛があるので、
この美しい伝統やその職人の技が、末永く続けばいいなと思っております。
Posted by sato at 2013年12月20日 09:32
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